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虫の知らせか普段とはちょっと違う行動をとり、野暮用を済ませて家に帰ったら、その間に最後の別れを告げるような電話があったそうで。
2人の邪魔をしないようにしばし場所をつくれよと誰かにそっと促されたかのような感覚を覚えた。
良くも悪くも本当に色んな人がいる世の中だけど、どうか残された時間が無二の幸福で満たされるものになるようにと心から祈っています。
皇室のみやび
現在、皇居三の丸尚蔵館で開催中の、開館記念展「皇室のみやび」に行くことが出来た。
雲ひとつない青空が広がっていて、本当にすごくいい天気(まぁ私、紫外線アレルギーだけれども笑)
ともあれ、腹が減っては戦はできぬということで、先にお昼ご飯を済ませてしまおうと、以前から気になっていた大手町にあるインドカレー屋さんに行ってみることにした。
パレスホテル内にある、アジアンレストラン バジル。開店してすぐに来店したため、他にお客さんの姿はなく、のんびりと過ごすことができた。
噂通りここの料理はどれも本当に美味しい。
サラダのドレッシングひとつとっても何コレ?なレベルである。ヨーグルトなのだろうか…🤔
スパイスがよく効いていてすごく美味。
そうこうしている間に、お待ちかねの本日のカレーとチキンカレーの2つが味わえるランチセットが到着。
正直、今までどのカレー屋さんに行ってもこんなもんかーという感想しか抱けなかったが、ここのカレーは違った。カレーというよりも、旨みの塊である。焼きたてのナンもすごくモチモチしていて美味しい。そうか、コレが本当に美味しいカレーというものなのかと、すごく勉強になった。
無事に腹も満たされたということで、いざ皇居三の丸尚蔵館へ。時間的にも人がまばらで、ゆっくり観ることができた。会場をグルーっと観てまわったあと、お目当ての雲紙本和漢朗詠集をじっくり鑑賞。
この雲の部分は藍で染められているそうで。
漢字と仮名が自然に織り混ざっていてすごく素敵。同じ墨と筆を使っていても、筆の沈み具合や墨量の変化でこんなにも奥行きが異なるものなのだなぁっと勉強になった。
会場内には藤原定家が写した国宝《更級日記》もあり、近くで拝見することができた。
なんだか想像していた筆跡とは異なるが、すごく味わいがある。
余談だが、百鳥図ってどこかさくらももこの作風に通ずるものがある気がする。
どこが?と言われるとはっきりとしたことは言えないものの、色味とか、世界観というかなんというか。どこかにわかる人いるかな…?
結局2時間近くゆっくり観ていたので、気づけばクタクタ。会場を後にしてすぐ近くの売店でアイスコーヒーを飲みながら一息ついた。
本当に、今日の太陽光は容赦ないなぁ、、
まぁ、そのぶん緑が綺麗。
たまにはこういう時間も良いもんだね。
タイムリミット
最近、ふと気を抜くと時計の秒針が迫ってくるような錯覚に陥る。
女には物理的な時間的制約が存在する。
妊娠出産育児まで考えると、私にはもう時間がないのだとも思う。出会いがないならいくらでもマッチングアプリとか使えばいいと云う人もいるが、そういうことじゃないんだよとその都度そっとため息がでる。
私には持病がある。
一万人に1人の割合で発症すると言われている自己免疫疾患である。幸い子供に遺伝することはないが、それでも再燃(再発)すればその都度かなりの治療が待っているし、前回再燃した時は自己の免疫システムが毛根を攻撃してしまい、抗がん剤を投与された後のように髪の毛がズルッと抜けてしまった。1人激痛に耐えなければならないことも多い。それを思うとそう簡単に出会いを求めるわけにもいかず、流行りにのってはいそれと無責任にアプリでマッチングするわけにもいかないのである。
とはいえ理性ではそう思っていても、時折り心がどうしようもなく訴えてくる時がある。
「このまま生涯独り身だったらどうする?」
「同年代の皆んなは子育てに夢中だよ?」
「もうすぐ本当に産めなくなるね、あなた、それで良いの?本当にあとで後悔しない?」
心の声が次から次にグサグサと自分自身に深く突き刺さり、その都度かなりの激痛を伴う。
後悔…するのだろうか。
子供…産んで育ててみたかったな。ん?みたかった…?過去形?違う、現在形だからみたいか。でもそれ、私が願っても良いことなのだろうか…
人生において人は必ず、出逢うべき時に、出逢うべき人と出逢うようにできているのだと信じている。しかもそれは必ずその時の自分に相応しいレベルの人と出会うようになっていて、もしよりレベルの高い人と出逢いたかったら、自分を高めていくしかないのだとも思う。
だから、できれば自然にどこかでふとした折に仲良くなって、徐々にその人と親交を深めていきたいというのが本音で。そうすれば、もしタイムオーバーで子供を諦めないといけないという現実に直面したとしても、後々心の底から納得できる気がするし。それに納得できない人は、そもそも私を選ばないとも思うから…
でもね、やっぱり知り合いの娘さんが今月出産とか聞くと心がまたざわつきはじめるんだよね…「ねえ、いいの?本当にあなたはそれで良いの?後悔しない?」ってね。
熱海→東京(3日目)
母が夜中に体調を崩し、以降具合が思わしくなく、急遽予定を前倒しして家路へと急ぐこととなった。
その前に、朝一番で日の出と共に愛犬の散歩へと出かける。およそ1時間半かけてありとあらゆる場所を歩いてみたが、やはり一向にウンティが出るそぶりはなかった。思えば今回の旅行中、愛犬の排泄を心配してばかりで一息つけることがほとんどなかった。ペットを連れて旅行をするということは、こんなにも大変なことなのかとつくづく実感。
しかし、チェックアウト後、駅まで向かう道すがら、目的は突如達成されることとなった。心底一安心である。
あとは母を無事家まで連れて帰れば、今回の旅行は終了だ。熱海駅で約1時間の自由時間を設けていたが、結局母の具合が悪いからと、近くのベンチでおとなしく座って待つこととなった。
なんだかひどく大変な3日間だった。
熱海(2日目)
昨日から愛犬のウンティがでない。
ウンティだけならまだしもチッコもでないのでかなり問題である。予報通り熱海は朝からかなりの雨が降っていて、部屋からの眺望もほぼないに等しい状態だった。
愛犬を、朝一番で散歩に連れて行くも出ず。
朝ごはんを食べさせて様子を見るも、やはりでない。
食休みをさせた後、昼過ぎに部屋に設置した自前のトイレでチッコは出せたが、ウンティは一向に出るそぶりもない。便秘である。
夕方に再度散歩に連れて行くも出ず。
夕食後泣きの一回と連れ出すもやはり出ず。
途中チッコは出たので膀胱炎の心配だけはしなくて済んだが、食べた分だけお腹に溜まっていくため、見るからにパンパンである。
食欲はある。
朝から晩まで降り続いた雨に加え、今日は風も強く、その中を毎回30分近く散歩に連れ出されたのだから愛犬としても頑なにウンティなどしてたまるかといった心境だったのだろう。
母は時折温泉に浸かりつつ、バタつく我々を横目に一日中部屋でのんびり過ごしていた。
そんなこんなで気づけば写真を一枚も撮れていなかった。反省し通しである。
東京→熱海(1日目)
年老いた母と愛犬を連れて踊り子号へと乗り込み、一路熱海へ。太陽光アレルギーである私を気遣うような曇天模様に内心ほっとしつつ、東京駅で買った朝ご飯に車内で舌鼓を打った。
無論、愛犬の乗車券290円も購入済みである。
うんともすんとも言わず、クールにすました愛犬を横目に、流れ続ける景色を見るともなしに眺めていた。
今回の旅行は約半年前から企画し、予約したものであった。発端は、私の某節目を温泉宿でゆっくり祝おうではないかという母の一言だった。念願の客室露天風呂付きのお部屋である。それはもう、半年間、毎日楽しみにしていた。
が、旅行の約2週間前に事件は起きた。
母の奥歯が真ん中から綺麗に割れ落ちたのである。ある日、ピザを頬張った母が徐に眉をひそめ、怪訝そうに「このピザ、変に固いところがあるね」と言ったことから判明した。そりゃ固いだろうさ、0.8cm角の自前の歯がピザに混入していたのだから。
慌てて歯医者に連絡をするも、諸々の準備が整うのが4月30日以降だとのことでそれまで耐えないといけないと言うことになり、不運にも母は奥歯が盛大に割れた状態で今回の旅行に挑むこととなった。とはいえ、この話にはもう少し続きがある。人間の体は思いのほか本当に弱いもので、どこか一ヶ所が崩れると、他も同じようにグズグズと崩れていくということがままある。我が母の口内もまた同様であった。おにぎりを食べて反対側の奥歯が割れ、ふとした折に前の歯も欠けてしまった。我が母ながら実にボロボロである。老いるということはこうも急激なものなのかと思考が追いつかない。激痛とまでは言わないが、固いものは食べれないらしく、仕方がないので旅行中もなるべく柔らかいものを選んで食べさせることとなった。
目的地に辿り着く前から前途多難である。
東京駅で買ったアイスコーヒーの氷がカップの中ですべて溶けきった頃、ようやく熱海へと到着した。熱海駅からはJR伊東線に乗り換え、移動となる。私たちが乗り込んだ頃はまだガラガラだった車内も、あっという間に旅行客と思わしき人で溢れかえっていた。世間はもうすぐゴールデンウイークである。
およそ12分の乗車で目的地である網代駅に到着した。今回お世話になるのは網代観光ホテルという海に面したお宿だ。
到着早々手厚いもてなしを受け、混まないうちにと大浴場を堪能し、あとは部屋でのんびりさせてもらった。
夕食も申し分ない量ですごく良い。
明日は朝から雨が降ると言うが、どこかでふとした折に止んでくれたりしないだろうかと、部屋風呂に浸かりながら一人願った。